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  • 管理人M

伝言ゲームは正しいか

歴史災害を扱うとき、必ず言い伝えにあたる。

言い伝えは、長時間スケールのゲームである。


そこで、いつも私は問い直す。

その伝言は、正確なのか。


歴史災害は言い伝えのただしさだけの問題ではない。


残る記録の正しさも理解しなければならない。

残る記録にはしばしば嘘がある。


嘘は悪いことと皆教わり、育ってきた。

しかし、当時は生きる知恵である。


嘘をつくことで、援助が増えることもある。


ある地域では、正直に領主にお願いしても助けてもらえなかったことさえある。


しかし、それを今、紐解くと嘘を真実と謝った解釈をしたりして、正しい認識ができなくなることさえある。


絵図を見ると、崖に見える色彩。

地すべりと言われたら、信用してしまうのではないだろうか。


例え崩れても、表層崩壊で土厚1mだとしたら、、、


そんな想像をしながら解釈すると、文献もみたくなる。


そして、さらには伝言ゲームもしりたくなる。


この伝言ゲーム、いつの頃からか個人の言い方崖はいったり、失われたりする。伝言ゲームとしては正確ではないが、事が起きたという事実は正解という状況になる。


絵図から知る伝言ゲームと言い伝えの伝言ゲームと文献に残る伝言ゲームは全て違うことがある。


正しさを知ることが、我々研究者のかだいであり、検証することは重要であるが、細分化された研究領域では年代測定が重要視されたりする。


年代測定は重要なtoolではあるが、数百年スケールには対応しない。


伝言ゲームを理解するためには、科学的、総合的な視点から、正しい伝言ゲームを明らかにしていくことが、我々の使命だと思っている。


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