数的アプローチは近年あらたな社会的な波になっている。それを代表するのは大学のデータサイエンス学部や学科、分野の設置ではないだろうか。
数的アプローチはどれだけ正しいのか。
傾向を示すのか、おおむね正しく言えるのか、それとも正しいのか、という点は数的アプローチに限らず、常につきまとう問題であるが、数的根拠が正しいというような印象を持つようなものまであった。
確かに、客観性という点では、個の経験値という枠から外れるので、その妥当性というのはいうるだろう。さらに、その確率も定量的に出ることを考えれば、傾向や正しさをうまく示せれば、素晴らしいものになる。
すでにタイトルの内容は完結しているような話になってしまったが、現実社会ではどうだろうか。
データを利用する場合、カオスな部分が多く、確実なルールが存在しない対象には、向かない可能性がある。
観光は質問一つで話が変わる。人気の見方でも変わる。
日本人と訪日客で行き先が変わるのは、ガイドブックによるところが大きい。さらに個の思考が働く。
また、販売はオリジナルを潰すことさえあるかもしれない。
Aという商品が人気なことがわかったので、他の店も同じようなものを出せばよいという考えになることさえある。それとも販路拡大になるのだろうか。
このように考えると、ツールが100%の答えを出さなくても、「解決手法」が大切ではないだろうか。
まちづくりやコト・モノの開発はツールよりも「解決手法」や「ツールではない取組方」が重要に思う。
さらに、そこには時間と空間スケールも存在する。現実社会で理論のままにはいかないのではないかとおもう。
数的な根拠は正しさの追求の最終形態と思うところまであり、その土台にのれないデータ達はその分野で土のように扱われるのかも注目したい。
今社会に必要なのは問題発見と問題解決である。